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HIK電子ジャーナル問題の本質館長富田義典電子ジャーナルは最近の図書館運営においてもっとも頭の痛い問題のひとつだ。だが、電子ジャーナルを図書館の問題であるととらえるならば、問題の核心をとらえたことにならず、ひいては長い目でみた場合の対応を過つ可能性もある。電子ジャーナルの現状に関する指標をいくつか拾ってみよう。電子ジャーナルの総タイトル数は、それが始まったのが1990年代初頭であり、今や全世界で約5万点にまでなっている。理・工・医系の学術誌の96%以上、人文・社会系でも、約90%が電子化されている。日本では、1997年は1大学平均電子ジャーナル数は約10タイトルでしかなかったものが、今や約7000タイトル(国立大学平均)にまで増加している。では、電子ジャーナル経費はどのくらいになったか。1995年には、1誌の平均は千ドル弱だったものが、今や約5000ドルに上昇した。そして、ほとんどの電子雑誌が少数の出版社によるパッケージに組み込まれ、それとともに価格は上昇をつづけ、パッケージ購読のための総費用は国立の中規模大学でも一億円程度、大規模大学ではその数倍になっていると推定される。その経費のうち約5割はE社のパッケージ代金が占める。毎年3~5%は上がってきた。そもそも商取引のあり方として、将来の値上げを通知しながら現在の契約を結ぼうとするのはよほど力関係に隔たりがある相手でなければありえないことである。たしかに大学はそのようなものとして見られているのだろう。じゃあ、パッケージから抜けて、個別雑誌の購読に切り替えればいいが、そうすると雑誌は“ペナルティ”価格に吊り上げられる。どうすればいいのか。端的に言って、元に戻ればすぐ問題は解決する。いつごろまで戻ればいいかは学問分野によって異なる。どのような状態に戻ればいいのかといえば、一生懸命研究し大学の紀要や学会の雑誌に投稿していたころにである。そのころは、紀要の維持費として1~2万/年、学会費1万程度/年(経済学関係の場合)を払えば論文を掲載してもらえ、他人のものも読むことができ、年に数回開催・刊行される学会や学会誌誌上で、学問的優劣を競い、論議を闘わせば学問は進み、自らの学問的ステイタスも上げることができた。それで十分であった。このように、学会と紀要がほぼすべてであった時代は、論文を読んだり、発表したりするのであれば、当たり前のことであるが費用も手間も身の丈に合った、実感の湧くところにあった。それが今や、同じく論文を発表し、読むだけで、大学や図書館という機関としての出費によりまかなわれ、その額も億になんなんとするようになってきている。同じ論文を佐大の電子ジャーナルで見るのと東大の電子ジャーナルで見るのとでは倍の費用の差が出る。大学の規模によって見る人の数が異なるから大学として払う代金も異なるからだとのことである。こんな意味の分からないことになっている。通常であれば、そんな理不尽な商品であれば買わない。止めればいい。しかし、言うも愚かなことながら、今や学会は世界につながっており、日本の、ある分野の、研究者があくどいとされる外国出版社の雑誌への投稿を止め、フリーペーパーを発刊して対抗姿勢を見せたとしても、出版社はせせら笑うだけである。それどころか、そんなことをする時間があるなら、インパクトファクターの高い雑誌に載せるよう研究に励むほうが自分のためになる。これが今の研究者の実態である。インパクトファクターの高い雑誌はそれこそあくどい出版社の電子ジャーナルにがっしりと組み込まれているのである。もう動きが取れないし、捨身にもなれない。言ってしまえば、今日の電子ジャーナル騒動は学者自らが招いたものである。あえていえば、国際的につながった学会がごっそり、しかもかなりの数のそうした学会が電子ジャーナルから抜けるようになれば、学者・大学と電子ジャーナルとがフラットな競争ができるようになるであろう。しかし、そのようになるための学者側の姿勢の変化は、今のところ百年清河を待つにも等しいと思えなくないのである。ARINO1