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概要

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HIK疫病と図書館と館長大島一里令和2年度4月は、100年に一度の災厄に見舞われていた。1918年パンデミック(世界的流行)を引き起こしたインフルエンザウイルスは、当時の世界人口の4分の1に相当する5億人に感染し、スペイン風邪と呼ばれたその疫病(後に伝染病そして感染症と呼ばれる)は、4000万人もの死者数をだしたと推計されている。今流行の新型コロナウイルス感染症(COVID-19)も将来2019年パンデミックと呼ばれるのであろうか、本学の附属図書館もその影響を受けて閉館で始まった。人類も様々な疫病と出会いながら、これまで命を繋ぎ乗り越え現代まで進化してきた。疫病の原因となるのが病原体であり、ウイルスからマイコプラズマやクラミジアのような細菌、スピロヘータ、リケッチア、真菌、原虫、寄生虫と様々である。これまで多くの病気が、パンデミックとなった。ペスト、麻疹、天然痘、コレラ、結核、インフルエンザ、ポリオ、エイズ、マラリアなどはその代表である。ペストは短期間に3度もパンデミックとなったと言われているが、第2次の14世紀に猖獗を極めた疫病は「黒死病」とも呼ばれ、当時のヨーロッパ人口の3分の1から3分の2に当たる約2000万から3000万人前後の人々、当時の世界人口4分の1に相当する1億人の人々を死亡させた。病原体は必ずしも人に感染するものだけではない。動物、魚、鳥、昆虫など様々な生き物そして植物にも感染して甚大な被害を与える。植物と言っても雑草などの野生植物が病気になっても誰も気にしないが、農作物に被害が及ぶと人々は騒ぎ出す。クリストファー・コロンブスは、1492年アメリカ大陸を発見しこの新世界の「発見」に因んだコロンブス交換(ColumbianExchange)は、その後に発生した東半球と西半球の間の植物、動物、食物そして奴隷を含む人々など甚大で広範囲にわたる交換を表現する時に用いられる。植物について焦点を当てれば、それまで野生であった植物が、人類に改良され様々な農作物になるのであるが、南米から持ち出されたトウモロコシとジャガイモの野生植物はユーラシア大陸で16世紀頃には栽培されるようになった。これらの大航海時代に起きた植物の交換は、世界食糧史において重要な出来事であったが、同時に農作物に病気を引き起こす多くの病原体もまた交換された。ジャガイモ(馬鈴薯)は、ナス科ナス属の多年草の植物であり、小さなイモの原種が野生している南アメリカのアンデス山脈が原産である。保存性が高いことから、当時の船乗りたちの食料としても重宝された。その後人類により改良が繰り返されて、大きなイモをつける品種が作出され、世界中で広く栽培されるようになった。ヨーロッパで栽培されるジャガイモは、従来栽培されていた主要作物よりも痩せている土地でも育ち、寒冷な気候に耐えることができ収量も多いことから、17世紀には様々な国々で栽培が広まった。特に冷涼で農業に不適とされた北ヨーロッパ、東ヨーロッパそしてアイルランドでは、食文化を変えるほどに普及した。日本には、ジャワ島のジャガトラ(ジャカルタの旧名)から、1600年頃にオランダ人により長崎に持ち込まれた。「ジャガタライモ」が転じて「ジャガイモ」と呼ばれるようになったとされるのが最も有力な説である。平成29年度のジャガイモ生産量は、北海道(78.6%)に次いで、長崎県(3.7%)であることが理解できる。アイルランドでの主要農作物はコムギであったが、寒冷地であり肥沃でない農地でも良く育つジャガイモ品種、「アイリッシュ・ランパー」が18世紀のアイルランド人の食糧を支えた。しかし1845年から4年間に渡ってジャガイモ疫病が大発生し、壊滅的な被害を与えた。このジャガイモ飢饉でアイルランドでは、100万人以上とも言われる餓死者を出し、イギリス、北アメリカそしてオーストラリア大陸へ200万人以上もの人が移住した。アメリカ合衆国に渡ったアイルランド人移民の中には、ケネディ家の先祖も含まれていたことは有名な話である。この疫病がなければ、ジョン・F・ケネディ大統領は生まれなかったのである。この他にアメリカ合衆国へ渡った人たちの子孫に、ロナルド・レーガン、ビル・クリントン、バラク・オバマなど4人の大統領がいたこともまた有名な話である。バイオリンの演奏で始まる「ユー・レイズ・ミー・アップ」(You Raise Me Up)と言う曲をご存じであろうか。アイルランドとノルウェーのミュージシャン、「シークレット・ガーデン(Secret Garden)」の楽曲であり、日本ではアイルランドの女性グループ「ケルティック・ウーマン(Celtic Woman)」によるカバーが特に有名である。2006年2月開催のトリノオリンピックのフィギュアスケートで金メダルを受賞した荒川静香が、エキシビションでこの曲をバックにスケートした。作詞したのがアイルランド出身の小説家のブレンダン・グラハムであるが、彼は1998年に「The Whitest Flower」と2001年に「The Element of Fire」の2冊の小説を出版した。前者はアイルランドの大飢饉を伝えるドキュメンタリー小説であり、マサチューセッツ工科大学の教科書としても利用され、アイルランドでベストセラーになった。後者の作品もアイルランドの大飢饉で未亡人となったヒロインが、1850年代のボストンに移住する作品である。これらの作品は、ジャガイモの飢饉後の人生を力強く生き疫病を乗り越えたアイルランド人(アイリッシュ)の内容であるが、「ユー・レイズ・ミー・アップ」もこのような想いで作詞したのであろう。疫病は何度か流行を繰り返す。スペイン風邪は1918年3月の第1波から1919年秋までに合計第3波があったとも言われている。新型コロナウイルス感染症も収束に時間がかかるのであろうか。このような時こそ学術情報基盤の集積地となり主体的な学習が可能となる場を提供し、そして教職員全員で知恵を出し未来の図書館像を描きたいと思う。今後とも、附属図書館のご支援をどうぞよろしくお願いいたします。ARINO1